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伊藤沙莉(いとう さいり)さんは1994年5月4日生まれで、女優、歌手、タレントなどされております。
2003年9歳でドラマ「14ヶ月~妻が子供を還っていく~」で子役としてデビューされました。
その後、2017年前期連続テレビ小説「ひよっこ」でNHK朝ドラに初出演されました。
2024年4月、テレビ小説「虎に翼」で主演を務めるなど、人気女優になりました。
そんな伊藤沙莉さんですが、どうやら韓国ハーフと噂がありますが、果たしてどうなのでしょうか?
また、伊藤沙莉さんは5人家族で、幼少期時代は実家が貧困で苦労されたとも噂があり、真相に迫っていきたいと思います。
今回は伊藤沙莉さんの韓国ハーフ説や家族について調査しました。
目次
伊藤沙莉の韓国ハーフ説は本当
伊藤沙莉さんが韓国ハーフ説を調査したところ、どうやら本当に韓国ハーフだと判明致しました。
その真相についていくつか挙げられます。
SNSで本人「韓国ハーフ」と明かす
伊藤沙莉さんはX(旧:Twitter)でタレントの橋本萌花さんとのやりとりで「韓国ハーフなのですね。 おそろですね」と問いかけにこの様な回答をしておりました。
出典元:X
また、友人でもある女優の岡本夏美さんとの会話でも、韓国の話題が出ておりました。
出典元:X
伊藤沙莉さんは千葉県で生まれ育っており、韓国語はまったく話せないそうです。
国籍についても日本と考えて間違いなさそうです。
また、伊藤沙莉さんは20年間、日本から出たことがないそうです。
出典元:X
機会があれば、韓国映画にも挑戦してみたいと語っておられました。
犬小屋の名前が韓国語
2017年12月24日、クリスマスイブの日に伊藤沙莉さんはインスタグラムを投稿されました。
投稿した記事には、何故か犬小屋にハングル文字が書かれております。
伊藤沙莉の家の犬小屋、ハングル文字やんw pic.twitter.com/Km47u4Zmii
— 櫻井はるき (@hjcq4856) September 4, 2021
何故、ハングル文字なのか気になった方も多いと思いますが、詳細は明かされておりません。
ちなみに書かれたハングル文字なのですが、「ラロ」と読むそうです。
家族で地元の韓国料理屋によく食べに行っていた
伊藤沙莉さんは大の辛い物好きで家族で地元の韓国料理屋さんによく食べに行っていたそうです。
家族みんなでよく訪れるのが、千葉県四街道市にある韓国料理店 ほんがね。韓国出身の方がやっているお店で本場の味が楽しめる地元の人気店。
人生最高レストラン公式ホームページよ人生最高レストラン公式ホームページより伊藤沙莉さんが辛い物好きなのはやはり韓国ハーフだからだと思われてもおかしくないですね。
顔立ちが韓国顔
伊藤沙莉さんは、韓国人に多い顔立ちをされております。
特に韓国女優のキム・スギルさんに似ていると噂があります。
出典元:X
こちらは韓国レコードジャケットになります。
出典元:https://aistageup777.com/sari-ito-korea-35583
さらに、韓国料理屋に貼ってあるポスターの人物に似ているとも噂があります。
出典元:https://aistageup777.com/sari-ito-korea-35583
比較すると確かに似ていますね。
目の形や顎の形、エラの位置など、韓国人の特徴が表れているのがわかります。
伊藤沙莉自身が韓国ハーフの生い立ちに感じていること
伊藤沙莉さんは大人になってから韓国とのハーフだと知りました。
自身が韓国と日本のハーフだと知りどのように感じているのでしょうか?
出典元:映画.com
調べた結果、ハーフについて感じていることは本人からは語られておりません。
憶測ではありますが、上記の投稿から見ても余り気にしていないようにも感じます。
しかし、人種差別で心無いDMを送る人もおられます。
伊藤沙莉に人種差別DM送った人マジでなに😇 ほんとになに? キレ pic.twitter.com/V3GKS5mzXq
— Amy aka下呂あやめ🏳️🌈🏳️⚧️ (@slhukss1) May 17, 2021
自分の意見をはっきり言える伊藤沙莉さんは正義感があってかっこいいと思います。
伊藤沙莉の父親は韓国人
伊藤沙莉さんの父親は韓国人です。
一般人のため年齢や名前、写真は見当たらなかったのですがいくつか情報はありました。
父の道路工事会社が倒産
伊藤沙莉さんの父親は、道路工事の会社を経営しておりました。
しかし、バブル崩壊の影響で会社は倒産し、多額の借金を抱えることになりました。
そのことから、伊藤沙莉さんは2歳頃に両親が離婚し、父親は突然姿を消し家族は一時的にバラバラになってしまいました。
伊藤沙莉さんの兄・オズワルドの伊藤俊介さんはnoteで父親についてこの様なことを綴っておりました。
- 要するに稀代のぽんこつ親父。海賊並に酒を呑み、明日も生きていかなければならないということを毎日忘れているかのような日常を過ごす男であった。とにかくトラブルが多く、世の中には普通に生きれない人がいるもんだと最初に感じた人間でもある。
ただ唯一の取り柄はとにかく面白い男であったこと。本当にそれだけ。それのみで生きてた。
また、駅の改札からお金がなくて、出られなくなり、家族に迷惑を掛けることが多かったそうでが、父親はとても面白い人で、家族にとっては憎めない存在だったそうです。
この様に父親は酒飲みで「ぽんこつ親父」と呼ばれるほど破天荒な性格の人だったそうです。
【2020年】喉頭ガンで他界されている
離婚後、伊藤沙莉さん一家は父親とは音信不通でしたが、2008年頃に兄・伊藤俊介さんと父親は道端で偶然再会したそうです。
兄・伊藤俊介さんと父親が再会をしたきっかけに、伊藤沙莉さんは父親と連絡を取り合うようになりました。
しかし、父親は喉頭ガンだったそうで、2014年、6年ぶりに千葉大学付属病院で再会を果たすも、伊藤沙莉さんが見た父親は痩せ衰えた姿だったそうです。
そして、2020年に父親の最期を迎える時には家族全員が集まることができたそうです。
伊藤沙莉の母親は日本人
伊藤沙莉さんの母親は日本人です。
母親は一般人のため、年齢や名前などは分かりませんでした。
塗装業で母子家庭の生計を支える
出典元:Yahoo検索
上記の画像は伊藤沙莉さんのブログに投稿された写真になります。
韓国人の父親との離婚後は母子家庭になり、母親は3人の子供たちを養うためスナック、牛乳配達を経て、塗装業として生計を立てていました。
母親は朝から晩まで働いておりましたが、暗い表情を見せず子供たちの前では常に明るい笑顔で接していたそうです。
伊藤家は母親の明るさが家族全員の心の支えとなっていました。
また、伊藤沙莉さんは子供の頃、雨の日が好きだったそうで、理由は母親の塗装業の仕事は雨の日が休みだったからだそうです。
母親の教え
伊藤沙莉さんが小学校2年生の時に、団地に引っ越され伊藤沙莉さんは「豪邸だ!」と大喜びされました。
出典元:モデルプレス
いつまでも謙虚な気持ち忘れないように教えられたのですね。
他にも、母親は「1人じゃ神輿は担げねぇ」という言葉が口癖だったようで、周囲の協力の大切さや謙虚など子供たちに教えていました。
- 幼いころから、母が「一人で神輿は担げない」と、よく口にしていたんです。他にも、「一人で立っていると思うな」とか「一人で大きくなったと思うな」など。あえて、カッコよくいうと、母が生きざまを見せてくれたというか、私にとっても憧れの対象は母だったので、母のように生きようと思ったらこうなったという感じです。
伊藤沙莉さんがこれまで、女優を続けられた原動力は母親のお陰だそうです。
母親に家をプレゼント?
伊藤沙莉さんは2023年母親と祖父母にお年玉をあげたそうです。
母親は感激し涙を流したそうで、伊藤沙莉さんはその姿を見て、もっと頑張ろう決意されました。
伊藤沙莉さんの大きな目標は、母親と伯母に家をプレゼントすることでした。
家を購入することを伝えたそうですが、母親は「稼いだお金は、自分の好きなことに使いなさい」と話されました。
しかし、伊藤沙莉さんは「それが好きなことだと」話し、母親は兄妹で協力するなら条件を付けて受け入れたそうです。
- 「母と伯母に育てられた。2人への感謝」の形として「実家を建てたい。一軒家にあこがれがある」と明かした。母親は、伊藤に対し、稼いだお金は「自分が好きなことに使いなさい」と話し、「私がなにかをやってあげるっていうのを拒んでいた」と言うが、ある時に「真剣に向き合って話さないといけないって思った時に、本気で私は建てたいと思っているし、自分が好きなことに使いなさいってよく言うけど、それが好きなことだから」と説得したという。最初は「う~んってなった」と言うが、伊藤が「最後の一押しとして、ローンを組んで、頭金出して、お兄ちゃんが(仕事)いいところまで行ったら押し付けます」と言うと、受け入れてくれたと明かした。
伊藤沙莉さんは、母親と伯母のことが大好きなのが伝わりますね。
貧困生活を送り子供たちに、嫌な顔一つ見せない素晴らしい母親だと思います。
伊藤沙莉の兄はオズワルドの伊藤俊介
伊藤沙莉さんの兄はお笑い芸人オズワルド伊藤俊介さんです。
出典元:WEBザテレビジョン
- 名前:伊藤俊介(いとう しゅんすけ)
- 生年月日:1989年8月8日
- 血液型:A型
- 出身校:駒川大学文学部国文学科
2014年11月、ピン芸人「畠中ゆう」として活動していた同期の「畠中悠」と『M-1グランプリ』の決勝出場を目標に向けてコンビ「オズワルド」を結成されました。
オズワルドは2021年7月「ABCお笑いグランプリ」の王者、同年の12月に「M-1グランプリ」の準優勝と成績を納めております。
同居するほど仲が良い
伊藤沙莉さんは2020年まで兄の伊藤俊介さんと一緒に住んでいました。
出典元:スポニチ
伊藤沙莉さんは早くから芸能界入りを果たしており、兄の伊藤俊介さんは妹の扶養に入っていた時期がありました。
当時、家賃も伊藤沙莉さんが大部分を支払っていたそうです。
出典元:スポニチ
そんな、お2人ですが現在も兄妹仲は良好で、兄の伊藤俊介さんは伊藤沙莉さんのことを「天才女優」と称賛されております。
しかし、伊藤沙莉さんのキスシーンを見るのが苦手で、そのシーンが出るとチャンネルを変えてしますそうです。
また、伊藤沙莉さんの映画で号泣するそうです。
出典元:エンタックス
妹想いの優しいお兄さんですね。
2022年2月にテレビで共演
2022年2月19日放送のフジテレビ系土曜プレミアム「まつもとtoなかい~マッチングな夜」で伊藤沙莉さんと兄・伊藤俊介さんは初めてテレビ共演されました。
出典元:スポニチ
番組では、サプライズゲストに姉の伊藤史織さんが登場されました。
伊藤史織さんは芸能活動されておりませんが「本来、一番芸能界に向いている」とお2人は口を揃えて仰っていました。
ちなみに兄の伊藤俊介さんが芸人をスタートした時点で伊藤沙莉さんは、すでにテレビ活動されており芸歴でいえば8年先輩にあたります。
伊藤沙莉の姉・伊藤史織は一般人
伊藤沙莉さんの姉は伊藤史織さんで、1991年9月14日生まれになります。
沙莉さんの3つ年上で、お酒は飲めないけれど、いつも明るい性格の持ち主です。
姉・伊藤史織は会社の事務員
出典元:Yahoo検索
現在は分かりませんが、伊藤史織さんは一般会社で事務の仕事をされております。
父親と母親が離婚された後、母親が家族を養っていくため一生懸命働いていました。
当時、伊藤沙莉さんは2歳だったため、姉の伊藤史織さんと伯母が母親の代わりをしておりました。
姉のお陰で女優業に真剣に取り組むようなった
伊藤沙莉さんは20歳の頃、女優業の仕事に熱心になれず、フリーターのような生活を送っていました。
遊びまわっていた伊藤沙莉さんに対し、姉の伊藤史織さんは「キモい女だよ」と説教されました。
- 「沙莉さんは20歳ぐらいのとき、女優の仕事に熱心ではなく、フリーターのような生活を送っていました。バイトも続かず、遊びまわっていたという沙莉さんがむちゃな飲み方をして朝帰りしたとき、史織さんはたった一言、『キモい女だよ』と説教したのだとか。彼女は尊敬する史織さんから叱られ、心から反省したそうです。一番の味方である史織さんをそれ以上失望させることがないよう、そこから女優業に真剣に取り組むようになっていったのでしょう」
姉の言葉から伊藤沙莉さんは、女優業を真剣に取り組むようになりました。
2017年9月2日に結婚式を挙げた
伊藤史織さんは2016年に結婚され、2017年9月2日には結婚式を挙げました。
出典元:Yahoo検索
その後、2023年には第一子の女の子を授かりました。
出典元:Yahoo検索
伊藤沙莉さんは、姪が1歳になるまでには、家族旅行に行きたいと話しております。
伊藤沙莉の「沙莉」の名づけ親は祖父
伊藤沙莉さんの「沙莉」は祖父が漢字をつけたそうです。
名前の読み方は「さいり」になったが、そこに「沙莉」という漢字を当てたのは、祖父だという。
出典元:日刊スポーツ
伊藤沙莉さんの祖父母ついては情報は見当たりませんでした。
伊藤沙莉の生い立ち
伊藤沙莉さんの生い立ちについて見ていきましょう。
【幼少期】離婚後、母と伯母に育てられた
出典元:Yahoo検索
伊藤沙莉さんは2歳の時、父親は借金だけ残し蒸発し、両親は離婚しました。
離婚後、母親は「家を探している間だけバラバラに住んで」と言い、伊藤沙莉さんは母の幼なじみの友人宅の家に預けられ、兄と姉は、兄の幼なじみの家に預けられました。
母親と一緒に住んでいた伯母は軽トラで生活をしていたそうです。
この時、伊藤沙莉さんは「どうして自分だけ一人なんだろう」と思ったそうです。
- 「家がなかったのは、私としてはすごく何カ月もなかった印象ですけど、大人になってつい最近、お母さんに聞いたら、子供だから親と離れて寂しい気持ちで長く感じたんでしょうけど、多分1週間ぐらいです」と子供にとってはすごく長い期間、家族と離れて住んだ気がしていたが、実際は1週間ぐらいだったとあっけらかんと笑った。
一家離散の状態でしたが、母親と伯母がアパートを見つけて、伊藤沙莉さんは一緒に住むことになりました。
しかし、見つけた家は決して綺麗ではありませんでした。
建物は築50年はたっていそうなほど古びていて、人通りはほとんどなかったそうです。
この住宅は原則、世帯月収16万円以下が入居の条件で、家賃は3万円から4万円ほどの物件だったそうです。
アパートはボロボロな状態で家に帰って電気をつけると大量にゴキブリが出るような部屋で、インタビューで兄の伊藤俊介さんは「俺と沙莉は、そのトラウマでいまだに虫がダメ」と当時のことを語っておりました。
狭い家で、布団3枚に家族5人で並んで寝ることになりましたが、伊藤沙莉さんは「家族で住めるのが本当にうれしかった」と喜んでいたそうです。
【小学時代】9歳でオーデションに合格しデビュー
出典元:X
母親と伯母は伊藤沙莉さんにキッズダンス教室に通わすため、牛乳配達のバイトをしておりました。
伊藤沙莉さんは当時3歳で、通わした理由は沙莉さんがダンスが好きだったそうですが、それよりも一家は「彼女に表現の才能ある」と気づいたそうです。
その後、伊藤沙莉さんは千葉市立みつわ台北小学校へ入学しました。
2年生の時に夢だった団地に引越し、家族全員が「豪邸だ」と喜びました。
伊藤沙莉さんは団地での生活をとても嬉しく思い、特に家に廊下があることやダイニングテーブルの食卓に感動されていたそうです。
出典元:サンスポ
小学2年生のときには、友人の母親からの誘いで役者オーディションを受け、見事合格されました。
9歳で日本テレビのドラマ「14ヶ月~妻が子供に還っていく~」でデビューを果たしました。
【中学時代】あだ名は「売れない子役」
出典元:Yahoo検索
伊藤沙莉さんは千葉市立みつわ台中学校へ進学します。
中学時代も数々のドラマに出演されておりました。
しかし、数々のドラマに出演しているものの、伊藤沙莉さんの中学時代のあだ名は「売れない子役」と言われていたそうです。
出典元:文春オンライン
また、中学時代には「ダミ声」とも言われ悩んでいたそうです。
しかし、伊藤沙莉さんは昔から心の強い子で、中学では「強気なボス的存在」だったそうです。
【高校時代】初主演映画「悪の教典」に出演し、俳優として生きることを決心
出典元:X.com
伊藤沙莉さんは千葉県立若松高等高校を進学されました。
1年生で学級委員長を務め「前に立って進行するのがすごく楽しくて」と当時のことをインタビューで話されておりました。
高校時代も子役として活躍され、演技力で注目を集めていましたが、オーデションに落ちることが多く、進路に悩む時期もありました。
しかし、地元の映画館へ家族と行ったとき、初主演映画である「悪の教典」のエンドロールに自分の名前を見つけた瞬間に、俳優としてやっていくことを決心をしました。
家族からは「自分の人生だから、やりたいことをやればいい」と背中を押してくれたそうです。
その後、大学には進学せず俳優業として専念し、現在も俳優として大活躍されております。
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